一二三の「究極のお人好し」と「自分の心が勘定に入っていない」について
なんとなく、まとまった。
この言葉って、それそれ他者からの評、独歩と仄仄からの評なんじゃないかな、て。
あくまでも、はたから見た「伊弉冉 一二三」評。
彼彼女視点では。自身の大切な人達、父さん母さん姉ちゃん姉ちゃんの彼氏さんの尊厳を傷つけられたり、自身の立場が失われるような悪評をばらまかれたり。そんなことをされて、そんなことをした相手を赦す、というか受け入れる、ていうのが有り得ない。その対応は、自身の感情を押し殺して、相手のことを想っての言動なのか?!て想い感じたんじゃないかな、て。だから、一二三は「究極のお人好し」で「自分の心が勘定に入っていない」て考えたんじゃないかな、て。
で。当の一二三。一二三自身の一番の感情想い願いは「仄仄と友達で在りたい」なわけで。これを「真」とするなら自身の感情のままに言動していることになるわけで。別に自身の心を押し殺しているわけではない。一二三って、世間一般と優先順位が違うんじゃないかな。大切な人達の尊厳を傷つけられたこと自体は遺憾だけど、けど、それ以上に仄仄との関係性が崩壊することが大事で。彼女に対して思うところが様々あるわけではあるけどそのうえで、仄々と友人関係を継続しつづけたい、て感じなのかな、て。
それなのに一二三は「おれっちのことを一番理解してる友達が言うから、間違いない!」て叫んだり「そう言ってくれるってことは、おれっちのことを理解し始めてるってことだ!」て嬉しそうに言ってて。そこが自分的に「?」だったわけだけど。
これ、独歩に対する信頼?想いからきてるのかな、て。自身で自身のことは判らない。けど、独歩は自分のことを一番理解してくれている、て絶対的な信頼をしていて。そんな彼が言うなら間違いない、その通りだ!て。逆にいうなら自分で自分のことを信じていない?自分の言動は世間的にどう評されるものなのか理解できない、から独歩の評を信じて言葉を受け入れているのかな、て。
シンジュク組て、世間一般の思考感情からズレてる人たちの物語なんだと思うの。
で。周りに「ズレてる」言われても、一二三は相手のことを想って「これが自分だ」で突き進み、仄仄は「それがどうしたの?」で突き進み、独歩は「ズレては駄目だ」て周りの様子を伺いながら周りに合わせて言動するようにしてるけど、ふとした拍子にやっぱりズレた言動をしたり、周りに合わせずに自身の矜持を貫いたりして「俺は俺は俺は・・・」てなってるイメージ。
一二三はだからこそ、自身と似たものを感じた仄仄とのつながりを重要視して、独歩の言葉を信頼して、だから仄仄との友人関係が続くことを願い、自分は「究極のお人好し」で「自分の心が勘定に入っていない」人物であると肯定したのかな、て。